先日、入門について書きました。
書物で「入門」と題したものを通して勉強したこともあります。
たいてい入門と言いながら難解です。
先に挙げた「ユング心理学入門」始め、「メラニークライン入門」「ビオン入門」「ラカン入門」などなど。
ユング心理学については、入門書から始まり、ユングの著作にも挑戦して、教育分析を受けて、セラピストとして実践も積んできました。
視野を広げるために、精神分析家の入門書を手に取り、著作にもチャレンジして、理論的な勉強をしてきました。
あ、そうそう。私のことを「精神分析の人」と言う方がみえるようです。認知行動療法って最高!とか思っている人たちですかね?
力動的心理療法と呼んでもらった方が適切です。ちゃんとセラピーはしていますんで。
さて、狭い意味での精神分析の勉強です。
メラニークラインは、人格障害圏の理解には欠かせないものがあります。
人格障害圏の人たちの内的世界を前エディプス期の問題として位置づけた理論です。
しかしながら、私はクライン派の分析もスーパービジョンも受けたことがありません。
ですから、あのことば使いでクライエントに解釈を伝えることが実感できないし、投げかけることが援助につながるというライブ感覚がわかりません。
ビオンについては、グリッドが参考になりました。自分のクライエント観察を整理する軸に使えて、クライエントの発言に見る変形がわかりました。
ラカンの場合、ちょっと事情が違います。臨床を学ぶ前に、学生時代に流行った現代思想として入りました。
シニフィエとシニフィアンのことは友人と繰り返し議論しました。懐かしい思い出です。
臨床を学ぶようになってからラカンを読むと、人によっては「難解で臨床に役に立たない」と言う声も耳にしました。
私は、読みにくいからといってそんなに簡単に破棄してよいのだろうか、と思いつつ、これだけのビッグネーム、他の分析家にはない何かがあるのだろう、と気になり、休み休み読んできました。
シェーマLは臨床の中で使えるし、欲望のグラフも何とか意味がつかめました。
何でも無意識に結びつける浅学者にイライラしながら、いかに無意識にはアクセスが難しいかをシェーマLから学びました。
援助につなげて言うと、シェーマLはクライエントの語らいを聴きつつ、それはまだ答えの出ていない暫定的結論、分析を受けて、違う視座を得たら、全く違う結論に至ると私が待てるようになるきっかけになりました。
ラカンを読み進めて、ようやく自分がラカンの何に惹きつけられていたのか、謎が解けるところに来ました。大発見の思いがしました。個人的な話になるので、これ以上は避けます。
さてさて、どこかに入門したからには、それを使えるようになりたいものです。
格闘技家が他の格闘技を学んで自分をより高めていくような修行に相当することとつながるのだろうと思います。
あるいは、和食料理人が洋食や中華も学んで、その手法を取り入れるようなものかもしれません。
あれこれ手を出して結局何も身につかないようでは困ります。
自分の依って立つ主軸を定めて、技の幅を広げていければよいでしょう。
こんな話も何かの参考になれば幸いです。