内田裕之です。
先月、下関〜博多と旅行に行きました。
下関では海の幸を満喫して、博多では屋台を楽しみました。
下関で団扇海老を食べられて満足。
やはりプリプリでした。伊勢海老を超える美味しさ。
博多の屋台の雰囲気に浸り、ラーメンをハシゴして食べすぎました。
この時は観光目的・グルメ旅でした。
その約1か月後、また再び、下関に来ました。
岐阜から下関は遠いです。
新幹線で約3時間半くらい。
自宅からだと4時間ですね。
とはいえ、目的があって来ました。
今回は、昔、勤務していた大学の同窓会。
初めて教員として赴任した大学、初めて受け持った大学院生、授業では関わらなかったけどスーパーバイズした院生、今は皆さんバリバリのキャリア。懐かしい顔ぶれに会えたのがうれしいです。
もう20年も前のことになります。
私の博士論文の主査を務めてくださった先生のお話、有意義でした。
直接お話もでき、拙著をお渡しして、記念写真も撮りました。
拙著を贈呈した方々がおられ、感想が聞けました。
臨床は孤独な仕事。
同志がいることを再確認。
孤独な中、書いた本でしたが、皆さんにとって何かのお役に立ったようです。
拙著への自画自賛でなかったことがうれしかったです。
恩師からの劣化コピーではなく、世代伝承ができているようで、これまたうれしかったです。
夜は有志で小宴会。
少し遅刻してしまいました。
皆さん、それぞれの職場で頑張っておられる由、うれしく思いました。
盛り上がりました。
私がすっかり忘れていた話をしてくれた人がいました。
皆さんが忘れていて、私が覚えている話もありました。
ちょっとしたことだけど、うれしい話ができました。
翌日はフリーで、大好きな山頭火の縁の地を回りました。
これが第二の目的。
そのために、家中の段ボールをひっくり返して、山頭火句集を探しましたが、見つからず。
旅に間に合わず、古本で買いました。
旅の準備は万端。レッツゴー。
気合いが入り過ぎて5時に起床。
まずは山陰線で川棚温泉。
ここはゆっくりできる温泉。
山頭火は終焉の地にしたかったのですが、土地の人が拒んで、また放浪となりました。
最終的に松山に移ったそうです。
最後は泥酔による脳溢血でコロリと死去したらしいです。
この幕引きも彼らしい。
川棚温泉には山頭火の句が多く書かれています。
私の目からすると、山頭火の句と川棚温泉が馴染んでいる、溶け込んでいるように感じます。
仕方ない運命だったのでしょう。
でも、彼が残した足跡は確かに存在しています。
川棚温泉でお風呂にゆっくりつかり、名物料理の瓦そばをいただきました。
瓦そば、美味です。調べてみてください。
本州中央部の岐阜にはない味わい。
久しぶりに食べられて満足です。
今回、グッときた句がありました。
「ふるさとの言葉のなかにすわる」
私の持っている句集にはない句。
もう両親を亡くし、実家も売り払い、寄る辺ない私に沁みました。
岐阜で暮らしているけど、関西弁混じりの私の話しことば。
この句は、寂しく切ないけど、どこかほんのりする感じ。
来てよかったです。
私も酒酔い人。
そして、さすらい人。
ようやく終焉の地、岐阜を見つけました。
ありがたいことです。
たぶん追い出されないと思います。
旅のお土産をどっちゃり買いました。
萩焼のカップが気に入りました。
見て、触って、しっくりきました。
これでお茶や珈琲を楽しみます。
少し強行移動になるのですが、山頭火の生地、防府に移動。
山陰線で1時間かけて川棚温泉に行ってきて、再び下関に戻って山陽線で1時間以上の移動。
のはずですが、川棚温泉駅は無人駅。
遠方移動なので、切符自販機でも区間外で切符が買えず。
辿り着けるのか、少々不安ながら、ビール片手に電車を待ちます。
しかし、山陰線・山陽線というネーミングはいかがなものかと思います。
山陽線はいいとして、山陰線はせめて日本海線とかにすればよかったのに。
乗り換え駅は下関で住んでいた時の最寄りの幡生駅。
私の住んでいたマンションが見えます。
懐かしい。
ここで愛犬マサラと出会いました。
よく歩いた道。マサラと一緒に。
よく通ったチャンポン屋を思い出しました。
いつもおばちゃんが念入りに炒めて焦げ目のついたキャベツを出していたなあ。
素朴ないい味わいでした。
懐かしい。
新幹線も使って、ともかく防府に到着。
散策すると、山頭火の句碑があります。
彼の壮絶な人生の始まりの地。
皮肉なもので、酒飲みで放蕩とされた人が、今となっては地元から傑出した人物と崇められています。
死後に評価されるアーティストはいるものです。
以前にも山頭火句集を片手に歩き回ったことがありました。
当時のガールフレンドを付き合わせたのも懐かしい思い出です。
お茶目で、そのくせ、しっかり屋さんでした。
幸せでいてほしい。
もとい、今回は趣向を変えて、山頭火の生まれたお家、「酔うてこほろぎと寝てゐた」と詠んだお寺に行きたいと思っていました。
折悪く、防府マラソンとかち合いました。
タクシーを拾って生家には行くことができました。
残念ながら、彼のお墓参りはできず、代わりに「山頭火ふるさと館」というところに寄りました。
情報量が多く、圧倒されました。
もうお腹いっぱい。
お墓があるのは護国寺というお寺、そして全国各地に山頭火好きの人が立てた句碑あるとのこと。山頭火の足跡だけでなく、有志で立てた句碑があるそうです。
「酔うてこほろぎ」とばかりに、見学後、飲みました。大満足です。
見学終えて16時くらい。
本州でも西に行くと陽のかげりが違うなあと
思いつつ。
第三の目的。
私の可愛い弟子に会うこと。
他大学の子でしたが、修士論文の指導をして意気投合、その後、スーパービジョンをしていました。
今回の旅の思い出に、紅屋さんで一緒にハンバーグを食べました。
この味も懐かしい。美味しい。
私の人生でベスト3に入るハンバーグ。絶品。
検索してみてください。
食事をしながら、彼と対して、その顔、声、姿の中に、懐かしさと成長ぶりを感じてうれしくなりました。
二泊目は彼のお家でご厄介になりました。
歓待を受けて、ありがたく思います。
先に書いたハンバーグの後に、焼き牡蠣のお店に連れていってもらいました。
何から何まで、感謝感謝。
三日目は、彼のお家で娘さんと朝の挨拶を交わして、ゆっくり家を出て、山賊焼というワイルドな鶏のモモ肉をかぶりつきで食べて、ゆっくり岩国を散策。
岩国城の城主、吉川何某公の裏話を聞いて、錦帯橋を渡って、たっぷり歩きました。
最後の最後までお世話になりました。
どうもありがとう。
こだまで新岩国駅から広島駅に出て、のぞみで名古屋まで。
名古屋駅中央線のきしめん屋、住よしのかき揚げきしめんは絶品。
但し、B級グルメでの話ね。
何だか、やりたい放題して、帰宅。
そのせいか、少々疲れました。
そんな中、二泊三日、留守にしましたが、愛猫は待っていてくれました。
私に甘える甘える。
ペットシッターさんと馴染んでくれたと報告あり。よかったよかった。
山口は、そうそう、しょっちゅうは行けない場所。
でも、変わらず存在していてくれることに満足。
たとえちょくちょく行けなくても、私の思い出の場所としてそっと存在していてほしいです。
そう、そっとな感じなのです。
時間的にも空間的にも、私から離れたところ。
この感じも山頭火の影響かしら。
そもそもの私の感性かしら。
折に触れて、パラパラと眺める山頭火の句集。
より現実感を持って感じられました。
旅の思い出とともに。
この間に会えた方々、どうもありがとうございました。
そもそも出不精で、あまり旅行には行かない方でしたが、最近はちょこちょこ出かけています。
たまにはいいものですね。
皆さんも旅行を見直してみてください。
きっと発見、再発見があると思います。