
内田裕之です。
今日は私が日々考えていることをお話します。
毎日を過ごす中、私たちは無数の刺激にさらされています。
朝の通勤通学で目的地を目指す人たちを見ると、何も目にとまっていないようです。
ある人は硬い表情で、ある人はスマホに食い入り、外界には目が向かないようです。
まあ、刺激をいちいち拾っていたら、身がもちません。
それはわかるのですが、あまりに外界に目を配っていないのは、閉じてしまっていることを感じます。
以前、分析家がご自宅に招いてくださって、野草をご馳走になる機会がありました。
ワクワクしてお邪魔しましたが、全く野草が目にとまらず、「ああ、内田さん、そこそこ!」と言われました。
私の目には野草がわからず、ただの草にしか見えていませんでした。
「もっとよく見て!」と言われて、はたと気づきました。
いかに私が見ていないということを。
いかに価値のあるもの、意味のあるものから閉ざされているか。
閉ざされているのではなく、自分が心を閉ざしているか。
目から鱗でした。
それまで、分析の中で、私が何気なく話したこと、意味のわからない夢、何となく作った箱庭、いずれにしても、分析家が興味関心を持って接してくれていたか、意味があることを拾ってくれていたか、痛感しました。
私の尊敬する心理療法家のハリー・スタック・サリヴァンは「選択的不注意」「選択的非注意」という考え方を述べています。
いかに私が選択的に心を閉ざしていることが多くあるのか、痛感しました。
このことがわかって、私のカウンセラーとしての腕は、グンと上がりました。
クライエントさんが話すこと、表現することにオープンな心で接して、いかに意味のあることを生きておられるのか、丁寧に見て聞いて感じることがあるか、重視するようになっていきました。
皆さんも心を閉ざししまうだけでなく、自分の心の世界を大切に生きて、人生の意味を見出していってほしいと思います。
自分自身、クライエント経験をもって、おいしい野草を入り口に、意味のあること、自分にとってプラスになることを見出すことができました。
皆さんにもこんな経験を積んでいってもらいたいと思います。
中毒的に触っているスマホを置いて、自分の外界で起こっていることに注意を向けて、よりよく生きていかれることをお勧めします。
当室でのカウンセリングがそのきっかけになれば幸いです。