内田裕之です。
退職した関係で、大学の研究室の片付けをしています。まだ片付かず。あともう少し。
院生に手伝ってもらって、不用紙資料を廃棄していたら、ずっと探していたものが見つかりました。
私の敬愛するヘルマン・ロールシャッハのお墓の写真です。
1995年12月、私がドクター3年の時でした。
もし仕事が今後決まれば、まとまった旅行には行けないと思い、2週間ヨーロッパ旅行に行きました。
スイスを中心に、ドイツ、オランダと回りました。
スイスのチューリッヒで飛行機を降り、タクシーを拾って、ドイツにいる友人が予約してくれたホテルに着きました。
ホテルへ、その友人からFAXが届き、13時間の長旅を労ってくれました。
ニクい配慮です。
チューリッヒに5日間、滞在して、いろいろ行きたい場所へ行きました。
ユング研究所、ソンディ研究所、観光、そして、ヘルマン・ロールシャッハの墓参り。
その時、街はクリスマスムードで溢れていました。
街は華美でなく、灯りがともり、リースなどを飾らせていました。
日本では、クリスマスといえば、イブの日に鶏を食べてケーキを食べて子ども達がプレゼントをもらう楽しい日。
海外では、宗教行為の期間。
はしゃいでいる人はいません。
厳かな時間と空間。
ノルドハイムという場所にお墓があると文献で知っていたので赴きました。
墓地の場所がよくわからず、道行く人にカタコトの英語で道を教えてもらいました。
いざ到着すると、門の近くに小さな事務所があり、Rの発音は巻舌で「アイ・カム・フロム・ジャパン。アイ・ウォント・トゥ・ヴィズィト・ザ・ワールド・フェイマス・サイカイアトリスト・ヘルマン・ロールシャッハズ・グレイヴ」と伝えました。
もう一度名前を言えと言われて、巻舌で「ヘルマン・ロールシャッハ」と答えたら、「Hermann Rorschacher」と綴り、「ノー、er」と返答すると、巻舌の発音で「ヘルマン・ロルシャホ」と誕を切る時のような「ホ」の音でした。
「イエス」と答えると、マックPCで検索してお墓の番号を教えてくれました。
こんな管理をしているのか、と驚きながら、やや広い墓地を歩いて見つけました。
いざ墓前に立ち、ここにロールシャッハは眠っているのか、感無量になりました。
しばらく祈りました。
「あなたの業績は、時代を超えて、遠い日本の地にまで伝わっています」と日本語で呟きました。
その時に撮った2枚の写真。
一つは墓標をアップで、もう一枚は少し離れて斜めから隣のお墓が写るように。
先ほど、クリスマスは宗教行事と書いたように、子孫や友人知人が墓標の前の土にお花を供えるらしいです。向こうでは土葬ですから。
残念ながら、ロールシャッハのお墓にはお花も捧げられておらず、土がむき出しになっている寂しい状態。
子孫はねだえたのか、歴史的評価も受けていないのかと悲しく残念に思いました。
しかし、私はしっかり勉強していこうと決意しました。
私より後にお墓を訪ねた人たちが語るには、お墓がなかった、とのこと。
貴重な写真です。
いつかロールシャッハテストの本を書きたいので、その時に掲載したいと考えています。
その時まで公開しません。
こんな失せ物が出てきました。