内田裕之です。
先日来、週末はお出かけをしています。
平日は平日で、案外忙しいことと、周囲の人が休日であることとで、週末に意外と予定が入ります。
時間や空間は、ネット社会で気にせず(たまには気にしてほしい人も混ざりますが)回っています。
こうした時空を超えることについて、深層心理学の立場から思うことがあります。
以前も引用させていただいた織田尚生先生の「現実を夢のように聴き、夢を現実のように聴く」という視点でとらえたことではありますが。
この両岸に足を架けて聴くことを、私は大切にしています。
「橋」のメタファーは割とよくカウンセリング(?)で耳にします。
私は、両岸の橋脚もしっかり整備すること、橋の強度もしっかり見ることを気にしています。
川の水嵩も気になります。
川の流れの強さも。
そして、両岸に、活用、交流があることは大切です。
似非カウンセラーが不登校の子が学校に行くようになったら、「カウンセラーはこの子の橋渡しをした」と言う姿に辟易しています。
学校という小さなコミュニティに渡って、また帰宅して、お家で語るもよし、語らぬもよし、日常の交流が生じる場が大切です。
日常、家族に片足を架けながら、学校にも片足を架ける。
こんなことまで意識して「橋渡し」と述べているつもりです。
こういう基礎工事を教育分析家がしてくれたことに感謝しています。
本格的な心理療法を教えてくださった恩師に感謝しています。
先日、こんな夢を見ました。
私は片足を現実に、片足を夢に架けながら書きます。
ブロンドの白人女性が私の苦労している姿を見て、「Hiro!」と何かと手助けをしようとしてくれます。
私の仕事そのものには手を出しません。
終わってようやく食事にありつこうとすると、弁当箱の上に1メートルはある魚を乗せたり、汗を拭こうとすると、ドデカいバスタオルで、周囲の人の目も気にせず、拭いたりしてくれます。
私はありがた迷惑で、「ありがとう。そこまでしなくていいよ」と伝えました。
ようやく役目を終えたと安堵したらしく、女性は私に身を委ねてグッタリします。
抱き寄せると、あたたかくふんわりしたセーターを着ていました。柄には何かスコットランド模様の象徴的な意味がありそうな編み込みがあります。
私はこの女性をグッと抱き寄せて、この子をバカにしてはいけないと思って、目が覚めました。
軽率で慎重さに欠けるユング好きなら「内田さんのアニマだ」と得意になるでしょう。
それ以上は何も言えないクセに。
慎重なセラピストなら、私の連想を聴き、スコットランド神話を語りかけてくれるでしょう。
私を、その女性を、大切にするように。
先日、これを垣間見ることが現実に起こりました。
うれしさ半分、慎重さ半分。
夢半分、現実半分、といったところでした。
私の造語ですが、アニマドライブは危ないです。
夢の中で出会った女性を現実の女性の中に混同してしまう。
危険です。
夢を夢があった場所に戻して、現実を現実があった場所に戻すことが大事なようです。
しかし、私に残った実感はあります。
それは、私の自我の中にとどめておこうと思います。
それだけ印象的な夢でした。
こうして夢分析は進んでいきます。
私の人生も進んでいきます。
こんな心理療法を目指しています。
こんな自己実現を目指しています。
こんな私でお役に立てれば、岐南カウンセリングルームにご来談ください。