内田裕之です。
片付けと引越しで、地層の深いところから、あれこれ出てきました。
先日書いたヘルマン・ロールシャッハのお墓の写真。
他にも大切なものが見つかりました。
私が名古屋から下関に移る時に、一緒に研究会をしていた後輩達からもらった寄せ書き。
当時を思い出して、懐かしさとうれしさが込み上げてきました。3回引越しましたが、大切にしまっていて、折れ曲がりもなく、もらった時のままでした。
あたたかいことばが綴られています。
2本の万年筆。
1本は、青い万年筆。
卒論を書く時に母親から買ってもらいました。
ペンの色に合わせて、ダークブルーのインクにしていました。
そう、当時、ようやくワープロが出始めた頃。
しかし、先生方が会議をして「代筆の恐れがある」とワープロ不可、手書きでした。
今では考えられないことです。
ちなみに、ワープロ機であって、PCではありません。
フロッピーディスク(これも今では存在しない)に保存できる電子タイプライターでした。
しこしこ書きました。
修正不可だったので、原稿用紙の終わりの方で間違えたら、またその頭から書き直しです。
そう言えば、卒論試問で、カタカナの「ソ」が「リ」に見える、とかいう内容に関係のないことで叱責を受けました。
懐かしい思い出です。
ちなみに修論ではワープロ専用機で書きました。当時は、5インチフロッピーを3枚、PCに読み込ませて、ようやく一太郎(知らないでしょうね)が起動という時代でした。
だから、電源を入れてすぐ起動するワープロ機が主流。
インターネットからコピペなんて、まだまだ先のこと。
2本目の万年筆。
これは大学教員1年目、講義、講義の準備、学生指導、会議、研究会、そして飲み歩きで、時間のない中、パチパチとPCで(ようやくWord
です)書き上げた博士論文。
その記念に院ゼミ生が贈ってくれた黒い万年筆。筆記体で「H.Uchida」とネーム入り。
うれしかったです。
今度は、黒いペンにちなんで、黒インクにしました。
万年筆には慣れていたので、愛用していました。
すらすら滑るように書けるので、重宝していました。
そうそう、昨年度の院ゼミ生からもらった同じくネーム入りのボールペンを常用していたので、2本の万年筆は失念していました。
しかし、大事に取ってあって、2本の万年筆を見つけました。
大事にしまい過ぎて、地層の深いところ、記憶の深いところにありました。
思い出の品々を見て、しばしみんなの顔を思い出し、片付け作業が止まりました。
また万年筆も使います。
もうすっかり乾いているけど、「万年」と呼ぶのだから、インクを入れ直して、使いたいです。
みんな、どうもありがとう。
大切な思い出の詰まった品です。
とはいえ、使わないと意味がない。
これからの仕事に役立てていきます。