私も自己紹介【内田裕之】
2023年07月01日

石郷先生が自己紹介をされました。私のプロフィールはHPの顔写真の下にありますが、ちょっとストーリー風に書いてみます。

生まれは京都府。南にある小さな田舎町で生まれました。8歳上の姉との2人きょうだいです。母が36歳の高齢出産。2400gで保育器に入りそうでしたが、泣き声が大きく、元気だろうと保育器はパス。声が大きいのは生まれた時からということになります。

大人の中で育ったからか、1歳で会話に参加していたそうです。おしゃべりなのは、この頃からです。

保育園ではよく泣かされる子でした。靴を隠されて、先生におんぶしてもらって帰った思い出があります。

小学校に入り、偏食で、頑なに食べず。問題児でした。なまじ口が立つので、相手から殴られて泣いてばかり。授業中は不規則発言。宿題はしない。忘れ物ばかり。よく叱られました。今思えば、共産党色の濃い京都の教員。管理主義に馴染めなかったのでしょう。6年の担任は今でも恨んでいます。

少々頭もよかったので、中学は京都市内の私立中学高校一貫教育に入学。チビでしたし、公立中学校に行けば、絶対いじめの対象になると予知していたことも大きな理由。

中学高校は親鸞聖人の教えのもと、のびのび、友人もできました。中学3年のお年玉でフォークギターを買いました。生涯の趣味ができました。

大学受験に失敗。浪人して大手予備校は避け、小さな私塾のような予備校に通いました。この年、阪神タイガースが優勝して世の中は大騒ぎ。

大学は名古屋の南山大学に入学。一人暮らしがしたかったし、合法的な家出のつもりでした。バンド活動がかなりの比重。生まれて初めて彼女ができました。

大学4年、京大の3年編入に落ち、愛知教育大学大学院に合格。ユング心理学を学びました。成績は中の下。派手な交通事故を起こしたのをきっかけに吉田耕治先生との教育分析を開始。バンド活動、教育分析、好きなことをする暮らしで、成績は中の下。修了式の日、先のことは特に考えず、精神科病院のパートでも続けようとぼんやり。ギターマガジン誌で見たロバートフリップのギター合宿に行こうと思っていたら、指導教官ではない先生から名大の博士課程の受験を勧められました。

名大には、なかなか馴染めず、バンド活動と自分のやりたい勉強。少しずつ非常勤講師などをするようになり、何とか生計を立てていました。在学中、大塚義孝先生に弟子入り。この頃には大学教員を考え始めて、なかなか就職決まらず。ドクター3年の12月にスイスを含むヨーロッパ一人旅10日間。ロールシャッハのお墓参り、ソンディ研究所訪問。本の買い漁り。借金暮らしの始まり。

オーバードクターを4年過ごしました。芽が出ないので、指導教官に退学する意志を手紙で書きました。この時に不思議な体験。投函すべくポストに向かうと犬がついてきました。頭を撫でてやっていて、私も野良犬になるけど、こうして頭を撫でてくれる人が世の中にはいると思いました。気持ちよく、退学して在野活動に入ります。

病院、スクールカウンセラー、学生相談室、非常勤講師と忙しい毎日。しかし、実力で食っている自信がつきました。

数年過ごして、大塚義孝先生から東亜大学の助教授ポストを推薦してもらい、ようやく37歳で就職。17年住んだ名古屋とお別れ。下関にある東亜大学では、博士号を取得、可愛い教え子に恵まれ、楽しい時間を過ごしました。

諸問題が発生して、阪大に移ります。6年勤めて、水が合わず、岐阜の東海学院大学に移り、現在に至ります。

流れ流れて岐阜の街が気に入りました。

そして、2023年6月中旬、岐南カウンセリングルームを開室。

なかなか波瀾万丈の歩みでしょ?